日本横断夢の縦走パート2 ⑫浜松~御前崎
完結編

(2011.11.3~5 歩行距離 58.9km)
11月最初の週末は3日(木)が文化の日で休みである、天気予報は3日連続の晴れである、日本横断夢の縦走の最終回は天候に恵まれ、軽い荷で歩き、宿に泊まり美味しい食事を頂き、隠し芸大会までして十分に楽しんだ。
参加メンバー

隊長の坪井
ジャンボ高橋
一寸待っての坂本
テント師範の左光
心配性のマリア
最年少の鶴飼
いぶし銀の関
2011年の長島
        (以上8名、敬称略)

11月3日       浜松駅~割烹旅館八百甚(横須賀)
            行動   7時間40分(歩行距離 30.1㎞)
            夕食   刺身、牡蠣フライ、焼き魚、茶碗蒸し、モズク、
                 むかごの油炒め              

 6:08平塚発の臨時便はラッシュ時並の混み様である、ハタと思い当たる、今日は湘南国際マラソンの日なのだ、大磯、二ノ宮で大部分の人が下りる、小田原で新幹線乗り場に移動、ここでメンバーに会う、7:08発のこだま631号に乗る、左光は真打ち宜しくここで登場する。
 皆表情ははれやかであるが、寂しい気がすると言う、浜松駅で別の車両にいた坂本が下りて来る、顔を合わすなり制服を忘れたと言う、
ムー・・・・・
浜松駅前より歩き始める、目指すは御前崎までの中間地点、横須賀高校近くの老舗割烹旅館「八百甚」である、150号線に出て掛塚橋を渡ってから海岸に向い、浜松・御前崎自転車道路に出る、ここで鶴飼の気合入れ、竜洋海洋公園を回り込んで海岸線を東に向う、大きな発電用と思われる風車が数基、ゆらゆらと気の無さそうに回っている。 
サーファーの遊ぶ海岸、自転車道を気持ち良く歩く。休憩時に隊長より永田芳恵さん復活の話が紹介される、


数年前に喘息で入院していた彼女は、何とか克服しようと山歩きを思い立ち、みろく山の会に入る、山歩きをしている内に喘息も治り、丹沢完全縦走に参加する程になる、やがてトレイルランに興味が移り、24時間の山岳マラソンをやり出す、元々素質があったのかめきめきと頭角を現し、有名な長谷川カップで好成績を出す様にまでなった頃、交通事故で左足に複雑骨折を負い入院、治療生活となり、医者に車椅子での生活と成るかもしれないと告げられる・・・・・
 絶対に復活してやる! たとえ走れなくとも、みろく山の会のメンバーと何とか一緒に歩きたい、医者の目を盗み病院のトイレで右足だけのスクワット、腕立て、腹筋等を泣きながら続けた、そのあいだ約2年間、みろくの会員を辞めずにいた、一度辞めたら改めて入会する気にならないと思ったからと言う。
 10月30日のみろく祭り、左手で杖を突きながら彼女は参加した、復活である・・・・
帰りに電車で一緒になった坪井は彼女の話を聞き、感動で胸が熱くなり涙が出た。
 ・・・・・・・・・・
海岸の自転車道は突然に崩壊状態となりその先は無い、仕方なく砂浜を歩く、しばらくして道に戻るのだが未舗装である、どこかで道を間違えたのかもしれない、マリアが靴擦れでかかとが痛いと言う、手入れをして用意の運動靴に履き替える、しばらくするとやはり痛いと言う、最後の手段の草履に履き替え、マリアの荷(相当に重い)を隊長が担ぎ、隊長の荷をその上に乗せWザックにして、男性で交替しながら歩く、長島が目敏くムカゴを見つけて収穫する、何とか今日のビールのツマミにしたい等と言う。
 中新田の弁財天川橋を渡り、150号線から県道を北東へ横須賀に向う、 あった!
まるで時代劇に出てきそうな構えである、明治期創業、現建物は昭和5年(1930年)の建築、各部屋ごとに造りや細工が異なると云う。
 女将さんに迎えられて玄関を入り腰を下ろして靴を脱ぐ、今にも足を洗う水の入った桶が出てきそうな錯覚に陥る、泊り客は我々だけと言う。

 男性陣は早速風呂に行く、途中の通路には下駄が用意さている、浴槽は岩風呂風で5人位入れる、今日はもう何処にも行かない、未だ4時を過ぎたばかりである、夕食は6時なのでゆっくり風呂に入っていれば良いのに、ワサワサと身体を洗い、ソソクサと湯に入り、バタバタと出て来る、どーも何時もの調子が抜けない。


 浴衣姿で部屋に戻りビール5本と漬物を頼む、「まず・まず」等と言いながら「グビー」とやる、何の抵抗も無く身体にしみ込んで行く、 美味い! 人生は楽しい。
 夕食までまだ1時間以上もある、ずーっと飲んでいる訳にもゆかず、坪井はジャンボに「将棋は出来るか?」等と聞いている、ジャンボは「出来る! 初段だ」と言う、坪井は二段なのであるが10年以上も指していない、丁度いいか、二人で指し始める、ジャンボは強い、一戦目は辛くも隊長の大技が決まる、二戦目はジャンボが受けきって1:1となる、隣では長島と坂本が囲碁を始める、昼休みには何時もやっていたと云う長島は相当に強いようである。

 夕飯は刺身、焼き魚、牡蠣フライ、茶わん蒸し、もずく、ムカゴ(長島が採取した物を軽く炒め塩を振りかけた)である、美味しく頂く。

明日は6:00起床、7:00朝食(7:30と言われたが左光が交渉して早くなる)を確認して部屋に引き上げ思い思いに過ごす(大体は寝ている)。



11月4日       割烹旅館八百甚~御前崎海岸
            行動   8時間(歩行距離 28.8㎞)
            朝食   塩鮭、かまぼこ、ワサビ、卵、
            夕食   刺身舟盛り(平目、鯵、カンパチ、カツオ、海老)
                 伊勢海老、金目鯛煮付け、天ぷら(海老、キス)
                 カニ、米ナスの焼き物

 6:00起床、7:00日本の正しい朝食、旅館の向かいの駐車場で左光の号令によるストレッチ、更に隊長は「マリア最後の気合入れだ」と指示すると涙もろいマリアの眼がうるむ・・・・・ 7:30マリアは草履での出発である、直ぐに海岸に向かい自転車道を歩く、海岸線には発電用と思われる大きな風車が並んでいる、しかしながらフラフラと頼りなく回るだけで、どうも真剣さに欠ける、こんな事で発電が出来るのであろうか、しばらく行くとポール基部のドアが開いたままの風車があり人が出入りしている、側にバンが駐車してある、どうも点検か修理の様子だ、皆はポールの内部を見たくてたまらない、上部の羽の処までどうやって行くのか? ポールの内部に階段が付いているのか? ロープでも下がっているのか? 後に左光が調べたところでは、風力タワー用昇降機が設置されているという事である。 

浜岡原発を大きく迂回して、ウミガメ産卵地のある長い下り坂を行く、先頭を歩く隊長が大声を上げる「見えたー !」・・・・・
 前方に白く頭が見えるのは御前崎灯台であろう、隊長は会計の長島に、コンビニでもあったらお神酒を買って欲しい等と言っている、だんだん灯台に近付くのにコンビニは見当たらない、最悪の場合は坂本の残ったウイスキーで代用しようか等と考えていると、長島が「お神酒をゲットしました」と言って清酒一合を見せる、近くにいた地元の人に酒を売っている処を聞いても近くには無いと言う、訳を話すと、一寸待ってと言って神棚から下ろして来たとの事であった・・・・・・
 御前崎ロングビーチを進む、マリアの足が痛い為か女性陣が大きく遅れる。
 14:25 静岡最南端の地 御前崎岬  着いた・・・・・・
昨年7月、日本海親不知海岸より栂海新道を経て、北アルプス、中央アルプス、南アルプスと2500m以上の山57峰を踏破して、遂に太平洋御前崎岬まで637.2kmを無事故で歩ききった、運、メンバーに恵まれた、支えてくれた家族にも感謝したい。
 隊長は海にお神酒を注ぎ、日本海の海水を太平洋に還し、プロジェクトの無事故達成を報告する。
 ジャンボの娘さん(書道師範)が新聞に載ると云われ、気合を入れて書いてくれた横断幕の前で記念写真を何枚も撮る、側にいた若い女性にシャッターをお願いする、気持ち良く引き受けてくれた女性は「自分は写真屋の娘だ」と言う、いい人に会えたと何枚かお願いする、後で見るとどーも今一である・・・・・・

長島が道の向うから走って来る、ホテルのロビーで缶ビールを買って来たと言う、ありがたい、 日本横断夢の縦走無事故達成に乾杯!

 道路を渡って宿に向う、側の灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」で紹介された白亜の洋式灯台で明治7年の竣工だと云う。
 宿は「民宿かけ家」である、実は5年前に泊まった道向かいの「民宿岬」に予約していたのであるが、直前になって岬の女将から電話があり、急用で引き受けられなくなった、向かいの「民宿かけ家」にしてもらえないかと言うので承知したものである。
 「かけ家」も「岬」に劣らず民宿と呼ぶには申し訳ない程立派である、泊り客は我々だけである、早速風呂に入り、浴衣に着替え「まず、まず」等とビールでくつろぐ。 
 待望の夕食は超豪華である、普通の一泊二食で7000円弱なのであるが、坪井は飲み代別の13000円予算で、美味しい物を出して欲しいと頼んであった。
 カラオケのある大広間の食膳には中央の大きな舟盛に、立派な平目の姿造り、鯵、海老、カンパチ、カツオがところ狭しと並び、両端には大きな金目鯛の煮付け、個人別に伊勢海老の姿造り、ズワイガ二、天ぷら(海老2、キス1)等が並んでいる。
 ここで隊長の挨拶がある。
 昨年7月に始まった日本横断夢の縦走は延べ637.2kmを踏破して、本日無事故で御前崎に到達しました。
 丹沢しか知らないと言っていた鶴飼、あっけらかんとした表情で女性一番の重荷を担いでくれました。

 様々な困難を引きずってトレーニングを重ねたマリア、とにかく御前崎まで来てしまいました。
 あの細い身体で弱音を吐かず歩ききった左光、メンバーの細かいところまで気を配ってもらいました。
 メンバー最年長でありながら全く危なげの無かった関さん、記録、写真、DVD作製等お世話様でした。
 人は変われる事を見事に実践してくれた長島さん、今日からは呼び捨てにしません、敬意を込めて長島さんと呼びます。
 誰もがやる訳は無いと思っていた単独での一般道歩き、長期出張で穴の開いた区間を黙々と一人歩いた坂本さん。
 大きな身体と大らかな性格のジャンボ、居るだけで安心感を与えてくれました。
 皆さんを理解し支えてくれた御家族の方達。
 私の口から言うのも恐縮ですが、蔭ながら応援してくれた参謀の三枝子さん。
皆様のお蔭をもちまして、日本横断夢の縦走は見事に、無事故で達成されました。
リーダーとしてこのプロジェクトに携わってきた私としては、リーダー冥利に尽きる思いです。
 日本横断 花の二期生の皆さんと共に歩いた事は、大切な宝石の様な想いでとして永く心に残る事でしょう、 ありがとうございました。
 次にいぶし銀の関による乾杯の音頭、関は「3本で行きます」と言う、どんなものかと見ていると、最初に関が音頭を取り、次に鶴飼が、最後に長島という順で「カンパーイ」とやっている。
ここで「民宿岬」の女将よりビール5本、各人にお土産の岩海苔の佃煮が届く、急に泊める事が出来なくなったお詫びだと云う、何だか申し訳ない。
 とにかくこれで食事に突入である、新鮮な刺身は旨い! 平目、伊勢海老、カンパチ、鯵、カツオがこれでもかと我々の味覚を攻めたてる、「いやーもう参った、参った」等と言いながら手は休みなく動く、隣の左光が金目鯛の煮付けを取り分けてくれる、これがまたメチャクチャ旨い、少しして米茄子の焼き物が出される、「かけ家」自慢の一品だと言う、


 魚ばかり食べていたタイミングで出された焼き茄子は、特製の味噌が塗られていビックリする程美味しかった。
 両端で睨みを利かせていた金目鯛の煮付けは、身が取り分けられアラだけとなる、ところがそのアラの皿を引き寄せて長島と関が執念深くつついている、 ムー やるなー
魚はアラが一番旨いのである。
 十分に満足して一息つく、ところが左光は「まだお刺身が残っているわよー」と言う、確かに舟盛には2~3人前の分量が手付かずである、ムー さすがにもういいなー
関と長島は「では頂きまーす」等と言いながら再た箸を伸ばす  ・・・・・
 もう御飯は入らない等と言っているとお茶漬けが出される、憎い演出である。
 お膳を片付けて、かくし芸大会が始まる、1年も前から言ってあるので各自ソコソコの用意をしている(筈である)。
 最初は左光(フルート)とマリア(オカリナ)による合奏「若者達」である、これは例会発表で歌った事もあり、日本横断のテーマ曲みたいなものなのである、用意して来た楽譜台(と言うのかどうか)に楽譜を載せて始める、フルートとオカリナの音が良く合う。
 次に鶴飼はあぐらをかいてソロ演奏(オカリナ)をする、曲は「隣のトトロ」である、本人は今一だったと言うが楽しい雰囲気でナカナカである。
 次は左光のソロ演奏「浜辺の唄」、フォーレの「シシリアーヌ」、「ダニーボーイ」と3曲が演奏される、素晴しい! 特に2番目のフォーレの「シシリアーヌ」は坪井がリクエストしていた事もあり感激である。
 次に坂本が妙な格好で登場する、Tシャツ、黒の短パン、赤いタオルの鉢巻というイデタチである、「私の孫娘が踊った愛らしい遊戯を披露します」と言うのである、曲に合わせて手を広げピョンピョン動くのであるが、どーも愛らしいというか、見苦しい様な・・・・・
しかしながら会場は大爆笑に包まれ、大いに盛り上がる。
 次はジャンボが運動着姿で登場、武道(空手、剣道、合気道)の形を披露する、あらかじめ女将に「大きな声を出すが心配ありません」等と断っている。
 威風堂々たる身体で鋭い気合、次々に決める形、 ムー・・・・・ さすがである。
坪井は唄を2曲(青葉城恋歌、知床旅情)、左光とマリアをモデルにして理容師時代に覚えた首筋へのマッサージを披露。
未だ何もやっていない関と長島に促すと「さっきやりました」と言う、 何 !
「自分達は無芸大食で、先程の大食が芸のうちなのです」と言う、 ムー・・・・・
 かくして大いに盛り上がったかくし芸大会も終わり部屋に引き上げる、参謀の三枝子さんから差し入れのあった赤ワインを飲みながら談笑、ナカナカ寝ようとしない、テントでは夕方5時半に就寝、7時になると夜更かしと言われたものが、今夜の就寝は11時を過ぎた。


 

11月5日      民宿かけ家―静岡駅―横浜
            朝食   伊勢海老のアラ汁、塩鮭、卵、漬物

 6:00起床する、朝食は7:00なので少し時間がある、ジャンボは将棋盤を持ち出し、昨日の決着をつけようと言う、 ムー これは負けられない、坪井は穴熊にガチガチに固めてから細い攻撃を際どくつなぐ、ジャンボの失敗もあり投了となる。
 朝食だされ味噌汁には昨夜の伊勢海老の殻が入っている、殻といっても頭部にはミソがぎっしり詰まっており、濃厚な味である。
 宿からバス停まで10分程である、途中に見かけた駐車場には何と舟が留まっているではないか、 ムー・・・・・
 バスに乗り静岡駅へ、お土産買ってから東海道線に乗り込む、達成感はあるが何か一抹の寂しさもある、皆ははやくも同窓会の計画を話している。






日本横断の軌跡
◆ 山行回数 12回
①親不知~白馬岳
   (2010.7.16~20)
②白馬岳~爺ケ岳
   (2010.8.13~17)
③針ノ木岳~烏帽子小
 屋(2010.9.18~21)
④烏帽子小屋~槍ヶ岳
   (2010.10.8~12)
 ⑤上高地~奈川渡ダム
   (2010.11.1~3)
 ⑥奈川渡ダム~駒ヶ根
    (2011.6.24~26)
 ⑦平岡~浜松
    (2011.4.29~5.1)
 ⑧木曽駒が岳~北沢峠
    (2011.7.14~18)
 ⑨三伏峠~聖岳
    (2011.8.13~16)
 ⑩北沢峠~三伏峠
    (2011.9.22~25)
 ⑪易老岳~池口岳
    (2011.10.7~9)
 ⑫浜松~御前崎
    (2011.11.3~5)
◆日数  35泊 47日
    テント  21泊
    山小屋  5泊
    民宿等  4泊
    その他  5泊
◆歩行距離  637.2㎞
◆踏破した山
(2,500㍍以上) 57峰